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本当に生きるための哲学


10 31, 2008

自分とは?人間とは?という点について考えるいい機会になります。

本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)本当に生きるための哲学 (岩波現代文庫)
(2004/06)
左近司 祥子

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本質

人間の本質ってなんだろう?

サルトルは”人間には本質はない”と言っています。

古くから理性的である、ということが人間の本質とされてきました。
しかし、それでは子供や痴呆症の高齢者はどうなのでしょうか?これらの人々は人間の本質を示していないのでしょうか?

家畜などの動物と違って人間には飼い主がいません。飼い主がいないということは価値を決める者がいないということです。本質に関してサルトルは”ない”と言っていますが、人間はそこに在ることが本質になるのではないでしょうか。

そう考えると気持ちが楽になりますね。そこに在る、ということが私たちが存在する意味なわけです。


自由

人間に飼い主がいないということは、つまり、人間は自由である、ということです。人間は他の全てのものと違って自由なのです。

自由と聞いて感じることはなんでしょうか?

逆説的かもしれませんが、自由であることは不安を感じることにつながります。

サルトルは”人間は自由の刑に処せられている”と言っています。
そうなのです。自由であるということは全てを自分で決めることであり、これは不安を生みます。
自由を放棄した方が気が楽かもしれません。

誰かに相談を求めても、誰に相談するかは自分が決めているわけで、やはり自分の未来は自分で決めているということになります。

人間は必然的に自由で、必然的に自分のことは自分で決めているのです。


決断

ソクラテスは”無知の知”と言ったことで有名ですが、”人間は自分から望んで間違いを犯すことはない”ということも言っています。

”間違った”決断というのはどういうものなんでしょうか?

そもそも人間の決断において間違いとはなんなんでしょうか?
例えばネズミは間違いということを本能的に学習するかもしれませんが、認識はしないでしょう。
人間が間違いを自覚するのは自分以外に周囲に他人がいるからです。自分のことを客観的に見ることができなければ、選択に対して間違いという概念は生じえません。
間違いといものがあるなら、それを気付かせてくれるのは他人なのです。

AとBという選択肢があったとしましょう。2つのうち例えばAを選んだとして、後になってどうしてAを選んでしまったのだろう、と後悔するときが誰にでもあるはずです。
この選択は間違いなのでしょうか?
ソクラテスによれば、人間は好んで間違いを起こすことはない、のです。

この世の中で絶対的な間違いというのが存在しないのだとすると、間違いと言われているものは自分が真に望んでいないものということではないでしょうか。

私たちの決断は過去の経験や知識などあらゆるものに影響されます。過去の集積に影響されるのです。私たちは無知であることに気付かなければなりません。無知の知を知ることです。そうすれば今までよりも自分の望みに近い決断が下せるようになるはずです。

無知の知について自覚するためには他人との会話や間接的な会話である読書が有効です。

今を受け入れ、自分が望んでいることを実現させるのです。それこそが本当の自分であり、自分らしい生き方なのです。




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